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あいおいニッセイ同和自動車研究所 周辺情報

深良用水隧道工事

裾野市における歴史的な遺産である施設・建造物の中で非常に興味深く、そして今日に至った現在でも農業用かんがい用水施設(用水を利用した発電施設も稼働)として現役で使われている「深良用水隧道」をご案内します。

今でこそ、裾野市は治水も良く農業が盛んで非常に農作物の栽培に適した土壌となっていますが、もともとこの地域は富士山の溶岩流により形成された地盤のため地下のほとんどが玄武岩質で空洞が多く、上流から流れてくる雨・雪解けの水のほとんどが表流水とはならず地下に滲み込む伏流水として裾野より下った地域の三島・駿東郡清水町に湧水として出てきています、そして江戸時代の裾野では取水が思うようにいかず農業用水には恵まれない貧水地域でした。

そこで、農業に適した土壌に変えたのが江戸時代寛文6年(四代将軍家綱の時代)から行われた治水工事(深良用水随道工事)です、水不足による農民の困窮状態を救うべく箱根芦ノ湖から小田原藩深良村(今の裾野市深良)まで農業用水を引くという壮大且つ困難な用水隧道工事が行われました。当時の機動力は人力による手掘りのみ、併せて多額の賂を必要とし長い年月の掛かる大工事であったと伝えられています。


この隧道工事は時の徳川幕府、俗に言う「お上」主導の工事でなく当時の深良村の名主大庭源之丞が計画し、江戸浅草商人友野与右衛門の協力により行なわれた民間工事でした、ただ工事は計画されるもののご存じのように当時の箱根は関所のある国境の難所であり工事の許可などは容易には下りることもなく幕臣の中には反対する者もいて、工事着手に至るまで大変な労苦があったと記録されています。

実際の隧道工事は、箱根芦ノ湖の湖尻峠から隧道を1,280.3m掘り深良まで水路を作る工事で、当時のお金で7,300両(江戸初期の造幣小判1両は現在の価格で10万円ぐらい、総工費7億3千万円程度と考えられます)を必要とし貫通まで総工事期間3年半を掛けました。掘り進むにしても入口と出口の両方からノミと槌だけを使った手掘りだけであり途中の岩盤を避けながら作業し、隧道工事としては当時画期的とも言える息抜き用の換気口まで設けるなど新技術も導入し、延々と掘り抜いた上下隧道が貫通し合流した地点では掘削口の誤差が1m程度の段差しかなかったとは当時の技術力の凄さに大変驚きます。

近代の測量技術や重機を使用した工事とは違い、とてもアナログな技術と人力だけに頼る作業でしたが、結果としてこの大治水工事は莫大な費用と膨大な時間を掛けましたが、治水に苦しむ農民を救い技術の進歩にも貢献しました。辛抱強く隧道掘り作業に携わった人達(主に農民)の労苦、多くの協力者の努力に感謝したいと思います。
*深良用水は「世界」かんがい施設遺産・全国疏水百選となっています。
*「深良用水」の詳細資料は裾野市民文化センター・深良コミュニティーセンターに設置されています。

<後記>
現代におけるトンネル工事は、数キロにも渡り双方向から掘削しても数センチの狂いも生じる事のない測量技術と、人が1日掛けて行う掘削作業も数十分でできる重機により掘られています。深良用水隧道工事は350年近くも前の江戸時代に行われ、しかも民の力だけで完成させた事に驚きます。今回ほんの一部の歴史を紐解く事で、先人達の思いとその時代の技術水準を知ることができました。現代でもより良い物を作り上げようとする人と人との絆に変わりはないと思います。

当研究所では自動車と自動車技術の高度先進化が進展する中において、より高度で信頼できる自動車技術と情報の発信を行い今後も社会に貢献したいと考えております。

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東富士センターと新東名高速道路今里トンネル

・東富士センター

自動車研究所東富士センターは、旧東名裾野IC出入口から西方面に坂道を登って5分位の場所にあります、建物には長期研修に併せて宿泊室を備え、中でも最上階の8階レストランは研修の疲れを癒す絶好の場所となっています。

研究所建物北側には四季折々に変化する雄大な富士山と麓に広がる大野原、南側には箱根連山を初め裾野市・長泉町・三島市・沼津市が一望できるロケーションです、特に夕食時における南側市街地には灯が点りその景観の美しさと、北側には夕焼けに輝く壮大で絶景の富士山を見る事ができます、自動車研究所の8階レストラン・ラウンジは裾野市内でも隠れたビューポイントであると言えます。

近年では新東名の一部開通により当研究所の足元には高速道路を走行する車両の流れが眼下に見えます、実際に高速道路からの車窓からは上り線でも下り線でもちょうどトンネルの上に当研究所が在るかのように見えます

つい最近の話ですが当研究所の研修に参加するため東名高速道路を使い来所したお客様が、名古屋方面から旧東名高速道路を上って来る途中で新東名に路線を変更し、裾野IC(旧東名にしかない)から降りることができず「トンネルの上に自動車研究所が見えたのですが、新東名からは降りることができず御殿場まで行ってしまいUターンしてきました。」と言っておられました、当研究所にいらっしゃる折には高速道路の新旧路線をご確認いただければと思います。

今里トンネル上に見える弊社社屋

・新東名高速道路今里トンネル

当研究所下を通る新東名高速道路今里トンネルは東西に800mの長さがあり、富士山の溶岩流が形成した強固で複雑な玄武岩と自破砕溶岩の地質を刳り貫き作られています。

前記のとおり掘削困難(溶岩で硬く隙間が多い)な地質である事から堅牢なトンネルを作るため、トンネルの掘削作業開始にあたりトンネルの真上地表に多数の小さな掘削口が開けられ、超微粒子セメント(土木業界ではセメントミルクと言われている)の圧縮注入により土壌の地盤改良がおこなわれました、その作業は数ヶ月間に渡り行われ掘削可能な土壌へと基礎処理がされたそうです。

出来上がったこの今里トンネルの特徴は、国内初の超近接双設大断面トンネルといわれ、まだ国内では数例しかないそうです、トンネルの掘削断面積は現在の東名高速道路2車線トンネルの約2.5倍に相当し、且つ上下線2つのトンネル間隔が4~6メートルしかなく上下線が非常に近接した珍しい作りのトンネルとのことでした。

種々過酷な施工条件のもと近代最高の技術と機器をもって掘削されたトンネルである事を考えると、電気で走る自動車と同様進化の早さに大変驚きを感じます。

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岩槻の街2(時の鐘)



「時の鐘」といえば、同じ埼玉でも小江戸といわれる川越市の「時の鐘」が有名ですが、自動車研究所埼玉センターのご当地岩槻にもなかなか立派な時の鐘があります。当センターから車で10分くらいの場所にありますので、埼玉センターにお越しの際には、一度、ぜひ見に行かれることをお勧めします。

わが岩槻の「時の鐘」は岩槻市の中心部、本町6丁目の閑静な住宅地にあります。昭和33年2月21日には、岩槻市の有形文化財として指定されました。

岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671)、城主 阿部春正の命令で鋳造され、鐘身116cm,竜頭35cm,外径75cm,厚さ6cmのものです。渋江口に設置され、「時の鐘」は城内や城下の人々に時を知らせていました。

50年後の享保5年(1720)、鐘にひびが入ったため、時の城主 永井直信が改鋳したものが現在の鐘で、300年近く経過しています。当時、鐘は1日3回撞かれたとも言われていますが、江戸時代後期には、1日12回撞かれていたようです。(『新編武蔵国風土記稿』他)

鐘楼は、嘉永6年(1853)に岩槻藩により改建されており(棟札銘)、方13.1m、高さ2.1mの塚の上に建っています。

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岩槻の街

富士山と自然 (秋編)

あいおいニッセイ同和自動車研究所 埼玉センターが位置する、さいたま市岩槻区は、さいたま市の東部に位置し、緩やかに起伏した台地の緑や元荒川の水辺など、豊かな自然環境に富んでいます。

鉄道は、東西に走る東武野田線があります。東武野田線はその昔、野田市駅から柏駅まで醤油を運ぶ貨物輸送のために建設され、野田市のキッコーマン本社内に運搬用の駅があり、柏駅からは日本国有鉄道(現JR)経由で日本全国に醤油が輸送されていました。 主要道路は東西に国道16号、南北に国道122号・東北自動車道があり、交差部には岩槻インターチェンジが設置されています。

また江戸時代から始まった人形づくりは、日光東照宮を作った宮大工の技が寄与したと言われ、岩槻の代表的な伝統的地場産業として、全国有数の生産高を誇り、「人形のまち岩槻」として全国的に有名です。

地名の岩槻は室町時代、「岩付」という地名であったそうです。 江戸時代に入り日光東照宮が造営されると、将軍が往来する日光御成街道(にっこうおなりかいどう)が整備され「岩付」はさらに城下町、宿場町として繁栄しました。 埼玉センターのすぐ近くに日光御成街道が通っており、わずかではありますが杉並木が当時の面影を残しています。

また、氾濫を繰り返してきた「荒川」、「利根川」、「綾瀬川」は幾度もの大工事によって流れを変え、洪水防御と新田開発を促進し、急増する江戸の人口に対して、食料の供給基地としての役割を果たすようになりました。

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富士山と自然

富士山と自然

富士山は五合目に冠雪が始まるころ本格的な冬の姿に移り変わります。真冬ともなれば雪で幾重にも化粧した富士山が更にその美しさを増し、世界でも類のない美しい山と評される訳が頷けるような気がします。

富士山は別名「不二山」とも言われ、その美しさに並び称されるものが二つと無い言われる由縁もそこにあるのでしょうか。

しかし、その美しい富士山も真冬は簡単に人を寄せ付けない極寒の山となり、登山道は頂上に続く道のほとんどがアイスバーンとなりピッケルも刺さらないと言われています。

登山中は零下20数度のブリザードになってもわが身を隠す場所は一切無い過酷な状況となり常に突風と滑落の危機に晒されます。それでも山の美しさに惹かれるのでしょうか、足を踏み入れた方の悲しいニュースが毎年のように聞かれます。

個人的な見解ですが、やはり雪化粧した冬富士は登山するより、ゆったりと温泉に浸かりのんびりと眺めるのが良いと思います。

裾野市では市が採掘した温泉「ヘルシーパーク裾野」があいおいニッセイ同和自動車研究所から向かう富士山への道「パノラマロード」の左側に在ります。入浴も市営と云う事で非常にリーズナブルであることから、市内外から富士山を眺めながら入浴ができて、プールも使える施設として1度利用した方はリピーターとなって何度も訪れています。

寒い冬は特に温泉に浸かってほっこりと心も体も癒されたいですね。
ましてや富士山を眺めながらの温泉は最高です。

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富士山と自然

富士山と自然

9月が終わり頬に風の冷たさを感じる頃富士に秋が訪れます。

大野原は黄褐色のススキで野原一面埋め尽くされ、 11月を迎える頃には周りの山々の紅葉が始まり、日毎に紅・黄の鮮やかな色を基調に色濃く山を彩ります。

食の秋を迎えた9月~10月の富士須走り口の小富士には、 自然に群生する山の恵みヒラタケ・ブナシメジ・タマゴタケ・サンゴダケ等々といったキノコが育ち芳しい香りを放ち始めます。

キノコ狩りには地元の方だけでなく県外からも多くの方が訪れます、中には松茸を手に入れる方もいるそうです。

ただ山小屋のご主人曰く素人が採取した場合5割以上が毒キノコだと(ご主人は採取したその場で毒・無毒の選別をしてくれる)断言しておりました、 又ご主人の山小屋ではキノコがどっさりと入ったお料理を作っており、食せばキノコ好きの方々には至極の時間となります、10月末まで営業しています。

11月に入ると初冠雪が記録される時期となり富士登山道も閉鎖し山小屋も店仕舞い、いよいよ冬富士となる季節が到来します。

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景ケ島渓谷

景ケ島渓谷

狩野川水系の最大の支流である黄瀬川の更の支流に渓谷はあり、富士山の創造期流れ出た溶岩が長年の間渓流に侵食形成され、 ほぼ600mにわたる奇景に富む渓谷となっています、侵食された集塊岩や溶岩は神楽(かぐら)岩・牛潜(うまくぐり)岩の名前が付けられた奇岩となっています、 特に興味深いのは渓谷を少し下ると巨大溶岩が高さ10数m、幅50mにわたり六角形の石柱が柱状節理となり谷壁が形成され屏風岩としてすばらしい景観を見せています。

そして、その渓谷中央には弘法大師ゆかりの依京寺があり、空海の作と伝えられている聖観音像が自然石に直接彫られており、 他境内にはあちらこちらに石仏や石造物が数々あり地元の人々の信仰の対象となっています。

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富士山と自然

富士山と自然

自動車研究所(東富士センター)では、何と言っても、特大の富士山が目の前にあり、その優美な姿をゆったりと見る事ができることです、 8階食堂からは四季を通しその季節の富士山を楽しみつつ食事を堪能し、忙しい研修合間の一服の清涼剤となっています。

毎年夏の季節富士登山が始まる頃、夏の夜の風物として富士山を登る登山者の灯火が点々とつづら折りの列となり、 霊峰富士の名の通りその幻想的で、自然と人とが綾なす美しさに心が癒されます。

写真:(社団法人 静岡県観光協会ホームページより)

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